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11月21日(木)、遠藤康選手引退会見を行いました。
掲載日:2024年11月21日
11月21日(木)、2024シーズンでの現役引退を発表した遠藤康選手の引退会見を行いました。
遠藤康選手あいさつ
あらためて、今年で引退することにしました。特に(自分から)言うことはないので、ここにいるみなさんは日ごろ話している人たちだと思うので、何かあれば何でも聞いてください。
質疑応答(抜粋)
- 引退を表明してから日にちが経った今は、どういう気持ちでいますか。
あまりすっきり(した感じ)も何もなくて、次に(J1昇格)プレーオフがあるので、そこに向けて一生懸命がんばっているところです。
- ジャージ姿での会見には何かこだわりがあったのでしょうか。
スーツが嫌だっただけです。あとは、まだ選手としてやっているので、スーツを着て会見をするのは性に合わないというか、まだ試合があるのでジャージでお願いしたいと、わがままを言いました。
- プレーオフを控えたこの時期に会見を開こうと思った理由はありますか。
普通は(試合が)終わってからだと思いますけれども、たぶんJ1に昇格するので、そちらの取材で忙しくなると思うので、先にやっちゃおうと思いました。
- 引退を決めたタイミングと、その決断の理由をあらためて教えてください。
タイミングは、まず鹿島で引退してもいいかなと思っていたことと、仙台に来たときにまず2年と家族とも話していて、2年やれたらいいかなという感じだったのですけれども、2年目の最後の方に(けがと手術で)チームに迷惑をかけたので、今年がラストのつもりで挑みました。そのなかでも、けがでなかなか練習にも試合にもからめなかったので、夏ぐらいから考えていました。
- 2年と決めていた理由は何ですか。
特にないのですけれども、地元は仙台なのですが自分は「仙台で大丈夫なのか」と思っていました。ずっと鹿島にいて鹿島に住み慣れていたので、仙台に来て慣れるのかという心配があって、それで家族と「まず2年で」という話はしました。
- そういったなかで、現役生活の最後を仙台で迎えたことにはどのような思いがありますか。
まさかあんなに立派な引退セレモニーを開いてもらえるとは思っていなかったし、地元の仙台でサッカーを最後にやっている姿を、小学校のころからプロになる前までずっとこっちでやっていて、地元のみなさんにプロの姿を見せられたのがすごく良かったので、みなさんの前で引退ということもできて、幸せでしたね。
- 引退を決断するまでに相談した人や、連絡をした人はいましたか。
いないです。自分で考えて、奥さんとはずっと、「いつやめようかな」「じゃあタイミング的に今年かな」などいろいろ今年は話していました。
- 現役生活で心に残っている試合としては、どのようなものを思い浮かべますか。
2017年の最後に磐田戦で勝てなくて優勝を逃した試合は自分の中でもすごく悔しかったし、鹿島のサポーターも含めて優勝する期待があったのですが、そのなかで逆転優勝をされたのがすごく辛かったです。
- 36歳まで現役を続けてきた中で、プロサッカー選手として遠藤選手が貫いてきたのはどういったことですか。
あまり考えていないというか、まずはどの練習でも一番目立つようにがんばろう、という意識でやっていました。僕は鹿島で試合に出られない時期が3年か4年くらいあって、そのときにもがいてもがいて、何をやってもうまくいかない時期があって、そういうときはどんな練習でも一番目立つことが監督へのアピールになるし、そういうのがあって鹿島で試合に出させてもらったので、その意識だけは常に持ってやっていました。
- 鹿島でも様々な経験をして最後に仙台へ戻ってきたときに、遠藤選手はどんな思いを抱きながらプレーをしてきましたか。
まずは仙台を戻るべきところに戻すという気持ちで仙台に来ました。ですが思い通りにいかず、昨年など辛いシーズンになってしまい、自分の力不足など、「自分が来てよかったのかな」とも思ったのですが、そのときに苦しんだ若手が今年すごく飛躍しているので、その意味ではすごく良かったかなと思っています。
- 地元の選手として後輩たちと様々な地域貢献活動もしてきましたが、今後は同じ宮城出身の後輩たちにはどういうことを託したいですか。
特にないですね。「俺から学べ」とも思っていないですし、そのときに感じたことをそのまま表現してくれれば必ずチームの力になってくれる後輩たちだと思っているので、「俺がこう言ったからこうしなきゃ」といったような固定観念はなくていいのかなと思います。ここ3年一緒にやっている選手もいれば、1年しか一緒にやっていない選手もいますけれども、練習する姿や日ごろの努力を見ていると、全然、何も心配ないかなと思います。
- まだチームはシーズン中ですが、引退後のことは現時点ではどういったことを考えていますか。
結構聞かれるのですが、これだけは言えるのは、仙台や鹿島での指導者はやらないと決めています。これはなぜかと言えば、僕は教える立場の人間ではないのかなと思っていますし、今いるスタッフはすごいスタッフがたくさんいるので、そこにはリスペクトがあるので、そういう意味では僕が入るべきではないと思っています。まず目に見えて自分でやらなければならないのは、なかのFCで今は代表をやっていて、そこに対してまだまだ自分の思いなど還元できていない部分があるので、まず来年しっかりやりたいと思っています。あとは、宮城県のサッカー人口を増やすようなことをしたいですね。子どもがすごく少なくなってきたなかで、自然とサッカー人口は減っていくと思うので、そういう意味では小さい子どもたちが「スポーツは何をやろうかな」となったときに「サッカー」という言葉を出せるような感じにはしたいかなと思っています。
- 引退を表明してからのぞむプレーオフはどういったものですか。
別に何も変わらないですよ。今までどおりに練習で一番目立つようにアピールをして、試合に出る努力をするだけです。
もちろん、チームの規律などいろいろありますけれども、僕は個人的に、ゴールが決まるのは最後は結局個の力だと思っていて、そこのクオリティーを自分は出せる選手だと思っているので、そこは練習からしっかりアピールをして、ゴリさん(森山佳郎監督)に使ってもらえるようにがんばろうと思っています。
- 今シーズンは最大あと2試合というところで、遠藤選手は最後にどういう景色を見たいと思いますか。
今は山形に(土居)聖真が帰ってきて、山形はすごく調子が良くなっています。聖真とは、こちらに来てからよくご飯に行っているのですけれども、プレーオフがお互いこうなってからは一切連絡を取っていないし、会っていませんけれども、決勝で東北ダービーをしてJ1昇格するのが僕にとっては一番いいのかなと思っています。昨年の東北ダービーでは嫌な感じになって、自分の中で東北ダービーの価値が下がったと思っていたのですけれども、このプレーオフでしっかり山形と仙台で東北ダービーの価値をさらに上げて、僕らがJ1に行きたいと思っています。
- これまで応援してくれたファン・サポーターに向けたメッセージをお願いします。
仙台のファン・サポーターのみなさんには、3年間という短い間でしかなかったのですが、僕自身たくさん学べたので、なおさら宮城や仙台に対してもっと還元したい気持ちを強くさせてもらったチームです。だから今後ともよろしくお願いいたします。
あとは、自分のパフォーマンスを出せたのが移籍してから1年間くらいで、それくらいしかサッカーをしている姿を見せられなくて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。だから今回のプレーオフでしっかりみんなでJ1に昇格して、来年J1のステージで戦っている姿をみんなで見られたら、と思っています。