NEW HERO

MF 10 梁 勇基 RYANG Yong Gi

1982年1月7日生まれ 173cm / 72kg 大阪府出身
泉州朝鮮初級→南大阪朝鮮中級→大阪朝鮮高→阪南大→ベガルタ仙台(2004年加入)

J1通算250試合出場を達成。
ベテランの気迫と技を見逃すな。

 プロ15年目、梁勇基は自らに厳しい。そして、J1とJ2で通算500試合出場を達成しても、そこで歩みを止める選手ではない。

 本人は「人に言われて気がついた」とのことだが、その歩みはこのクラブにとって重要な道に刻まれてきた。2004年のJ2開幕前に、練習生から契約を勝ち取る。そして同年のJ2第5節でリーグ戦デビューを飾ったところから、今に至る。その間には、2008年のJ1・J2入れ替え戦、2009年のJ2優勝、天皇杯ベスト4、2012年のJ1準優勝、2013年のACL、2014年の残留争い、2015年からの新スタイル構築の取り組み……そのすべての道を、梁は歩いている。

 今もその道の途中で、自らを磨き、成長を志す梁だが、自らが経験を積み重ねている一方で、チーム内の競争も激しくなってきた。長年レギュラーとして毎試合のように出場を重ねてきた梁でさえ、試合出場メンバーに入れるかどうかという争いの渦中にある。

 今季の明治安田生命J1リーグ第11節・札幌戦が、梁にとってのJリーグ通算500試合目となった。仙台一筋で達成した偉大な数字も、終着点ではなく通過点である。その数字を増やすために戦うのではなく、競争を勝ち抜き、結果を出すことで新たな数字を加えていく。彼のプレーにはそのような意志を感じさせられる。

 「ボールを奪ってからの最初のパス一本の精度に、もっともっとこだわりたい」。熊本キャンプの場でも、暑く苦しいコンディション下でも仕事を果たす意志を、梁は口にしていた。その心が表されたのが、第16節・横浜FM戦だった。大量失点を喫し、スタジアム全体が意気消沈しかねない中、ジャーメインとともに投入された梁は気迫のこもったプレーを見せた。「元気な自分が動いて、何かを変えたかった」。勝負という点で結果を出せなかったことを大いに反省した梁だが、コーナーキックから蜂須賀のゴールをアシストするなど、チームに顔を上げさせる役割を果たした。

 第20節・磐田戦では、終盤に交代出場してJ1通算250試合出場を果たした。偶然にも、彼がJ1デビューとJ1初得点を記録した、ヤマハスタジアムでのことだった。しかし自身の記録への達成感よりも、黒星の悔しさ、そして次に結果を出すことへの強い意志が、まだまだ彼のプレーを磨き続けるのだろう。