12月4日(木)、柳沢敦選手引退記者会見を行いました。
掲載日:2014年12月4日
12月4日(木)、柳沢敦選手引退記者会見を行いました。
柳沢敦選手引退記者会見
今日はお忙しいなか、集まっていただきありがとうございます。私事ですが、今シーズンで現役を引退することを決断いたしました。
チームの中ではいろいろな状況におかれている選手もいる中で、この決断ということがどういう風にとらえられるのかわからない部分もあるのですが、自分としてはプロの選手としてのひとつの大きな決断だったと皆さんには理解してほしいと思うし、尊重してもらいたいと思います。
それから、ファンやサポーターの皆さんに、少し報告が遅れてしまったことをこの場をお借りしてお詫びしたいということと、チーム状況が残留争いという中で、自分のことであまり気を使ってほしくないなという思いもありましたし、選手として最後までやりきってから自分の意志を伝えようと思っていましたけれども、なんとか(J1)残留を決めることができて、少しでも早くファンの皆さんに報告するというところで、今日は急遽こういう会見を開かせていただくことにしました。
自分としては、選手として、まだ一試合が残っていますし、みんながどういう状況であろうとも、選手である以上、最後まで精一杯戦うことは、やらなければいけないと思っていますし、最終戦でベガルタ仙台はここ数年勝てていないので、なんとしても来年につながるゲーム、それから選手一人ひとりが次の人生に向けてつながっていく、プロフェッショナルな戦いをして最後を迎えたいと思っています。
あらためて、サポーターの皆さんの前でご挨拶できるときがあるかと思いますので、そのときにはまた、サポーターの皆さんの前でしっかり報告して、感謝の気持ちを述べたいと思っています。
■引退をしようと考えた理由をお聞かせください。
数年、自分の中での葛藤が常にありました。自分が求めるパフォーマンスと、今できる自分のパフォーマンスとのギャップも常にありながら、それでもクラブは僕自身の存在を評価してくれて、必要としてくれて、そこに僕自身もまだまだやれるという思いにさせられましたし、その中でチームに何か影響を与えることができれば、プロサッカー選手として、やっていくことが可能だなと思っていたのですが、そういう状況が数年続いていたということと、チームの中で僕自身が、与えられるものというか、残していけるものが少し限界に近づいていると正直感じていましたので、プロとしての決断というところで、今回、引退というところを決めました。
■決めたのはいつ頃でしょうか。
シーズンの終盤ですね。いつ、ということではないのですが、そういう時期なのだろうなと心の中で感じていて、残留争いをみんなが必死に戦っている中で、そこがひとつ、残留が決まればそういう報告をしようと、心の中では終盤の頃に思っていました。
■チームメートや渡邉監督には、いつ伝えられたのでしょうか。
監督には、数週間前に少し話をする機会があって、自分の意志、監督の意志を確認し合いながら、自分が来年についてはこう考えているということを、伝えてはいました。チームメートには、ほとんど言っていませんでした。たぶん、ニュースで知った選手ばかりだと思います。
■渡邉監督には、そのときに何か言われたのでしょうか。
監督としては来年も僕の力を必要としていると、その時に伝えていただいていたのですが、ここ数年の自分の中での葛藤もありましたし、いつかはそういうときが来ると自分でも思っていましたので、そのときに僕の思いを監督には伝えました。
■ホーム最終戦の後に渡邉監督と何か話していたようですが、どういったお話をされていましたか。
僕がそういう決断をしたということで、監督も僕自身の送り出し方について、クラブもそうですが、常に僕に対してリスペクトをしてくれていましたし、もしこういうときがきたら、いいかたちでサポーターの皆さんにちゃんとした報告をしながら、引退をするというかたちをするのがベストじゃないかとは言われていました。
あのときはホーム最終戦でしたし、残留が決まったということもあって、監督には「ここでひとつ、できれば報告をしたらいいんじゃないか」と言われました。僕は「プロとして最後までやりきってから報告をしたい」と伝え、そこで監督は納得をしてくれました。
残り試合について監督には「僕が最後だからということではなくて、本当に最後の試合で、みんなで勝ちに行くということを、僕自身も願っているし、監督にもそういうつもりで最後に戦ってほしい、指揮を執ってほしい」ということを伝えました。
■長かった現役生活の中で、最も思い出に残っているシーンはどういうものでしょうか。
やはり僕が移籍してきて、最初の年(2011年)に大きな震災に見舞われて、本当に大きな悲しみの中でみんながどうしたらいいかわからなくなって、本当に初めての経験の中で、ベガルタ仙台がどういうことができるのか、この地域にとってベガルタ仙台が今までにどういう存在だったのかもわかっていますし、そのベガルタ仙台がこういう困ったときに何ができるのかということで、みんなが一つになって戦う姿勢というものを見せられたシーズンでもあったと思います。
特に再開後最初の試合、(J1第7節)川崎F戦です。みんながあの試合を待ち望んでいて、みんなの気持ちが本当に乗り移ったゲームだったと思います。太田ヨシ(吉彰)が足をつりながらガッツポーズをしている姿が、いまだに頭に焼き付いています。残念だったのは、僕があの場にはいられなかったことなのですが、誠さん(手倉森誠元監督)の涙だったり、ヨシのガッツポーズだったり、あのときの強い思い、みんなでひとつのためにやろうとした姿というのが、すごく感動したし、サッカー選手やチームにとっていちばん大事なものを見せてもらえたゲームだったと思います。
■柳沢選手自身、復興支援活動もされてきました。被災地に対してはどのような思いがありますか。
まだまだ復興の途中ということで、長い協力というか時間がかかる中で、少しずつ積み重ねてこられているものもあると思いますし、その中でサッカー選手として協力できることであったり、個人の柳沢敦として協力できることであったり、あると思いますので、それは継続してやっていきたいと思います。
このベガルタ仙台があのときから変わったというか、やるべきことが変わったんだということを感じているので、そのときから復興のシンボルになる、復興の光になるクラブということで、そこを目指し続けてほしいと思います。
■在籍した四年間で、ベガルタというチームに柳沢選手自身が残せたものは何でしょうか。
本心としては、もっとピッチに立って、もっといいプレーをして、やはりプレーでみんなにいろんなものを与えていきたかったのですけれども、それでも選手としていられて、このクラブに僕自身の存在というものを見出してくれて、それを必要としてくれて、本当に有意義な時間を過ごせましたし、実際に何を残せたのかはわからないのですが、四年間で自分のできる100%以上の力を降り注いできたつもりなので、何かそういうものが若い選手やこのクラブに残せていればいいなという思いではいます。
■ファンに向けて一言お願いします。
僕自身、サッカー人生が波瀾万丈というか、いいことも悪いことも、悔しいことも悲しいこともいっぱい経験してきましたけれども、そのなかで常に僕を支えてくれたサポーターの皆さん、常に心配してくれたサポーターの皆さん、本当に心の底から感謝しています。これから先に、僕自身もサッカーに携わりながらまたいろんなサッカー界に対しての貢献ができればと思っていますので、引き続き応援していただきたいと思っています。
■今後については。
今後はまだ詳しくは決まっていないのですが、そういうように携わっていきたいと思うし、何であれ、一生サッカー人であることは間違いないと思います。
■チームから、何か打診はあったのでしょうか。
何かのかたちで、チームとしては考えてくれるということは、言ってもらっています。
■今のところはまだ仙台にいる予定ですか。
そういう話をもらえて、僕自身が今後にどうしていくべきか定まったときの判断にはなると思いますが、そういう可能性もじゅうぶんにあるとは思っています。
■仙台のサッカーファンに何かメッセージをお願いします。
仙台に来る前から、仙台のサポーターは熱いなと見ていて、あらためてここに来て、毎試合毎試合、応援してくれる声援がどこのクラブにも引けをとらないというか、トップレベルのサポーターがいると感じました。
自分自身が鹿島や京都のように皆さんの気持ちをがっちりつかみ取るところまではいけなかったのかなという感じは自分ではしているのですが、それでも温かい声援をいつも送ってくれて、ありがとうございますという気持ちと、本音は、もっといいプレーを見せてあげたかったなという思いもあります。
■地元の富山では応援クラブもありましたし、富山県ならびに故郷の小杉町からも表彰されるなど、たいへん熱烈なファンの方がいることはご存知かと思います。引退にあたって、富山のファンに向けてメッセージをお願いします。
その応援クラブの方をはじめとして、富山に本当にたくさん応援してくれる人がいるということは、自分もわかっていましたし、富山の代表として自分はJリーグで戦っているんだという意識も持ちながら、やっていました。
いいときも悪いときも、富山の代表でしたし、皆さんに悲しい思いをさせたときもあったかもしれませんが、富山からでもこれだけ19年できる選手が出てくるんだという自信を与えられたと思うし、ぜひ富山から新しいサッカー選手がどんどん出てくることを祈っています。また、カターレというクラブがありながら私をたくさん応援していただき、ありがとうございました。
■これから第二のサッカー人生が始まります。指導者になることも選択肢のひとつとは思いますが、第二のサッカー人生の目標が今の時点であれば教えてください。
指導者というところはひとつの目標ではあります。そこに向かっていくにあたっては、自分自身いろいろな勉強をしなければならないと思っています。今後について聞かれたときもそうですが、何がいいのか、選択肢があるならば、そのなかで自分で最良だと思うところを選択できればいいなと思っています。
■ベガルタだけでなく、日本中のサッカー選手が柳沢選手の背中を追いかけていたと思います。プレーヤーとして、現役の中でいちばん大事にされてきたことは何でしょうか。
とにかく、サッカーに対して誠実に向き合って、少しでもうまくなりたいという気持ちを持って、努力することだと、それは強く信じてきました。やはり、先輩方にそういう方たちがいて、そういうことを教えてもらって僕自身も成長できたと思うし、そういう方たちに感謝したいと思っています。
■現役生活では海外のクラブなど様々なクラブでプレーしてきましたが、いちばん印象に残っていることは何かありますか。
たくさんありすぎてひとつにするのが難しいのですが、タイトルを取ってきたときの瞬間や、W杯の舞台というのは、すごく印象に残っています。